パブリシティー

英字朝日新聞(ヘラルド・トリビューン紙:日本版)

●東京下町にブギー・ワンダーランド!●
ノリユキ・ユモト(立石ディスコ・ナイト:DJ)
 秘密宗教の信者の様に、彼らは狭い通路を通り、 ゲームセンター2階のビリヤードホール裏へ消えて行った。
 部屋の中には、丸いミラーボールがあり、彼らは昔の音楽に合わせステップを踏む。 ビージーズ、Sly、ファミリー・ストーン、そしてドナ・サマーに魅せられて、彼らは毎月1回土曜日に開催される 「立石DISCOナイト」に現れる。
 東京の下町=葛飾区にある立石は、ディスコがある街には到底見えない。
 流れるミュージックは、数十年前に流行したモノ。最初のブギー世代は20年前に置いてきたスリルを呼び戻したいのだ。 だからこの街にはディスコがある。
 「初めは純粋に、踊りたい! から始まった」実行委員の一人で、DJを担当する湯本は語る。
 「見て下さい。お客様は会場に来たら直ぐに踊りだします。お客様が来場する理由は一つ。 ラストまでひたすら踊るという事です」夜10時頃には解りますと彼は付け足す。
 湯本は39才。昼は日本の大手おもちゃメーカーでマーケティングの仕事をしている。
 この夜、1000枚にも及ぶ“ディスコ&ユーロビート”のレコードをプレイ・リストに入れた。
 彼は20年を費やしこのレコードを集めた。その理由をこう語る。「自分は音楽を聴いていて飽きた事がない。曲を聞く度に新しい発見があります。でも、一番やりたかった事は、人前で曲を流す事でした」それが、3年前におもちゃ会社近くのバーでディスコを始めた理由である。
 初めは、物好きな地元の人しか来なかったが、評判は広がり遠くの人達をも突き動かした。今では現在の広い会場(カラオケルーム)に移さなければならない程、約150名ものダンサー達が押し寄せフィーバーするサタデーナイトになった。
 ニューヨークの“Studio54”や東京の“キサナ・ドゥ”とは違うが、昔の良き時代を思い起こさせるには、充分だ。

 ディスコ再興の物語は、2001年に遡る。“ユニバーサル・インターナショナル”が'70〜'80年代にヒットしたダンス音楽をCD化した「Disco Fever」を発売した。ある程度裕福で子育てから解放された=30代〜40代の人々がそれに飛び付いた。踊る場所さえあれば、ポケットマネーで直ぐに行けた。そこで、「キサナドゥ」が青山に再びオープン。40代を狙った新しいディスコ「Avalon」が、渋谷のトランス・クラブやラブホテル街の真ん中に出現した。

かつてのディスコ・シーン(1979:六本木)

しかし、それも数ヶ月で消えた。問題は労力を費やすお客がいなかった事だ。
 「東京の中心地へ行けばダンス・イベントは沢山あります。でも、ある程度の年配者にとって、家から離れた都心へ遊びに行くのは大変です。ここは自転車で来れる」
 “立石DISCOナイト”の他にもディスコはある。東京の西の郊外=立川には“俺達の青春ディスコ・ナイト”があり、70年代に原宿でテクノ・ポップを踊っていたハーレム衣裳の“タケノコ族”達は、高円寺にある“マジカル・カフェ”で踊ります。
 残念ながら立石DISCOナイトでは、プラットホーム・シューズや金のネックレスは見られない。コロンが香るタンクトップの男性は50代。狭い空間で男女入り乱れ踊っていても、ここには出会いを求める妖しいムードはありません。湯本が言う「お客様は純粋に踊る為に来て
いるんです」と一致する。
  「私達はみんな夫があり、子供には手がかからなくなりました」ハルミさん(47才)とその友人カズコさん(48才)、ユキさん(43才)は説明します(彼女たちはフルネームを教えてくれない)。「一つのストレス解消とダイエットの手段です。主婦の為のバレエクラスへ通う事も出来ます。でも、自分が育った年代の音楽で踊る方が自然な気がします」。
 3人は初め、踊る他にも目的があったとカズコさんは言う。チークタイムに夫を引っぱり出した。しかし、チークタイムが終わらないうちに夫は家に帰り去った。
 「ダンスが好きな人は“虜(トリコ)”なります」とユキさんは要点を述べる。「他人に恥ずかしいと思われても、決して止めません」。
 確かに踊る事は良い運動である。本能的に彼女たちは一列に並び、曲毎の振付で皆同じステップを踏む。それぞれの曲にそれぞれの決まった振付があるのだ。
 「曲が掛かると直ぐに振りが思い出せる」とハルミさん。「頭では忘れていても、身体が覚えているんです」。

 ネモト・ヨウスケさん(26才)、ナカジマ・タクジさん(25才)も“虜(トリコ)”になった。彼らはディスコの噂を聞きつけ、参加してみてそれが本当であった事を知った。「僕たちは、過去の歴史の1ページを掘り起こした気がします」とネモトは言う。「それも僕たちが住む、この街で」、「すごいのは、僕たちの言っているクラブと違って、みなさんが自意識過剰じゃないところです」と彼は言う。「鏡に向かって、みんなが揃って踊るのは信じられなかった。でも、皆さんがこの踊りに打ち込んでいた当時が思い起こされ、みんなで同じ踊りをしていても、その一人ひとりは個性的なのです」。
 そうするうちにサイレンが鳴り渡り、アバの“ダンシング・クィーン”が掛かると、この夜のクライマックス。ネモトさんと友人は、笑顔でダンス・フロアへ向かった。「ここは彼らの聖地です」ネモトさんは私に言った。
「さぁ、あなたも楽しんで!」。


         翻訳=タケさん(TDNスタッフ)